どうも、リュウです。
授業で当てられたときに
言えなくて、
『なんでこんな簡単な
問題も分からないの?クスクス…』
本当はおはようって
言いたいけれど言葉が
出てこなくて、
『なんでこの人は
挨拶しないのだろう?』
国語の本読みの時間で
言葉が出てこなくなって、
『こんな簡単な漢字も
読めないの?クスクス…』
時には
『「戦う」って読むんだよ(ボソッ)』
と隣の子が親切に
教えてくれることもある。
『たったこれだけの事を
なんで言えないの?』
と言われてしまうのは
もの凄く悔しいですよね。
確かに非吃音者に
とっては簡単なことでも、
吃音者にとっては
そうではなかったりします。
この「悔しい」と
感じる感情の出所は、
「誤解されることで謂れの無い
ことを言われてしまうこと」
にあると僕は定義しています。
本当は問題の答えが
分かっているのに、
言葉に詰まってしまうから
あたかも答えが分からない
様子に見えてしまう。
難しい問題ならば特に
問題ないかもしれないけど、
それが誰にでも分かるような
簡単な問題だった時が辛いです。
難しい問題が頭の中で
解けている場合でも、
言葉に詰まって
言えなかったら折角の
「難しい問題を
解けた頭のいい奴」
という評価をもらえる
チャンスを逃してしまう。
どっちにしろ悔しいし
屈辱だと思います。
つまり、
「言葉が詰まる」というのは
全てを台無しにするファクター
だということです。
そしてその悔しさを
引きずってしまうことで
その後の勉強に身が入らなくなり、
結局テストの点も低くなって、
『ホラ、結局出来ないヤツ』
という評価を貰う
ハメになってしまう。
そういう吃音者にとっての
「苦い過去」は、
主に学生時代の時の経験が
多いと思います。
吃音者の大半は幼少期に
発病するという「発達性吃音」
だと言われているので、
小学校入学から主に高校卒業
までの期間が割と暗黒期だった
という人は多そうです。
特に小学校時代の経験が
その後の人生を大きく左右
させる要素になるので、
そういった意味では
一番大変な時期だと思います。
多感な時期ですしいじめも
一番発生しやすい環境下
だとも思うので。
僕も小学生時代は吃音で
色々苦労させられてきました。
今だからこそ
思うところもありますが、
当時はまだまだ
視野が狭かったので、
小さい世界でしか物事を
考えられないんですよね。
あなたも
『あの時吃音で悩んで
いなければもっと
有意義な時間になったのに…』
と過去を振り返って
ため息をついてしまう事は
あると思います。
そんな過去は
出来ることなら洗い流して、
無かった事にしたいと
感じているかもしれません。
でも僕は、
そのような過去は決して
無駄なものだったとは
思いませんし、
寧ろ自分の心を強く
鍛えてくれた大切な期間
だったと捉えています。
考えてみてください。
吃音者は全体人口の1%
だと言われているのですが、
それってつまり1%という
“貴重な体験”を積むことが
出来たということなんです。
1%の体験って
なかなか出来ないですよ。
確かにその体験は決して
気持ちの良いものでは
なかったかもしれません。
だけど、
『無駄だった』と捉えるよりも
『価値があった』と僕は捉える派
です。
絶対にそう思ったほうがいいし、
そっちの考え方を持った方が
人生楽に生きられます。
吃音者が人生を生きづらく
しているのは「自分の考え方」、
つまり自分で自分の首を
絞めているという原因も
あります。
吃音者は想像力が高いので
「思い込み」が強くなりがちです。
そして
脳は妄想と現実の判別が
苦手という性質があるので、
『自分は不幸だ』
『あの時どもりさえ
しなければ』
『吃音さえなければ
人生はもっと楽しかったはず』
という思い込みを現実だと
認識してしまうことがあります。
そういった吃音者特有の
「考え方の癖」があるので、
そこは変えていかないと
いけません。
そこも吃音改善に
含まれています。
考え方による影響って
かなり大きいので
侮ってはいけませんよ。
まずは悲観的に捉える癖を
少しずつ治していきましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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