どうも、リュウです。
僕が思うに、
吃音者の方って
人一倍思いやりの精神に
溢れている人が多いです。
ここで言う
「思いやり」とは
何かというと、
相手のことまで
深く考えようとする姿勢
ですね。
要するに、
他の人を尊重しようとする
意思が通常の人より高い
ということです。
これはとても良い素質であり
潜在的に持っている能力
であると僕は感じています。
一言で言うと“才能”ですね。
これは他の人が
そうそう真似できるもの
ではありません。
あくまで
傾向的な話の域を
過ぎないのですが、
吃音者は潜在的に
その素質を備えていると
僕は思っている…
いや思っているというより
僕はそう信じています。
理論的な根拠は
ないですけどね…。
この素質というのは
多くの場合において
とても有効に機能するものです。
例えば、
相手の事を思いやれる
ということは、
相手の事を理解して
あげられるということなので、
教育者関係に凄く向いている
という点が挙げられます。
この
「思いやりの素質」
というものは、
親や先生など立場的に
誰かの教育者である人が
特に有効に活かせるものです。
教育者という存在は
「良い手本」であることが
望ましいと思いますし、
また
「良き理解者」であることも
望ましいと思っているので、
その素質を武器に出来るのは
かなり大きいアドバンテージ
だと思いますよ。
僕を始め殆どの方が
これまで色々な事を
教育者から学んできているので、
我々にとって
教育者の存在というものは
かなり大きなものです。
それでも、
「思いやりの素質」が
教育者に向いているから
といって、
吃音者の誰もが
学校の先生などになる
必要はないと思いますし、
それは当然の話でしょう。
あくまで
「活かせやすい」という
例の話なので、
参考例として
捉えてくださいね。
さて、
ここまで
「思いやりの素質」の
良いところを書いてきましたが、
光があるところには
闇があるとでも言いますか、
折角良い素質でもそれが
マイナスの方に働いてしまう
ことがあります。
ここでいうマイナスとは、
長所が「空回り」して
逆に短所として出てしまう
という意味です。
そのマイナスとは
何かと言うと、
相手を尊重しようという気持ちが
大きくなり過ぎて自分の事が
二の次三の次になってしまう
ことです。
他の人を尊重しようとする
意思が通常の人より高いが
ばかりに、
本来一番思いやるべき対象
である自分を差し置いてまで、
他の人を優先してしまうのです。
これは相手にとっては
都合の良いことだと
思うのですが、
あなたはそれで心の底から
満足していますか?
が重要な問いですね。
これは
個人的な意見なんですが、
やっぱりまず
自分を先に満たしてから、
他の人を満たそうとするのが
理想的だと思うのですよね。
自分のことを
先に思いやることが
出来て始めて、
他者を思いやることが
出来ると僕は思っています。
それが
真の思いやりの在り方
ですよね。
だから、
まずは自分を
思いやることから始めましょう。
差別をするわけでは
全くありませんが、
他者は二の次という感覚
で大丈夫です。
自分という人間の性質を
良く理解することが
あなたのまずやるべきことですね。
それをせずに他者を
先に尊重(優先)してしまうと、
自分自身が段々と
苦しくなっていってしまいます。
『自分はこんなにもあなたのことを
尊重しているのにどうして
それを分かってくれないんだ!』
という感情が出てきてしまって
それがストレスとなり、
それが要因で吃音が
強くなってしまうことにも
なりかねないのです。
吃音は精神状態に
大きく依存するものなので、
そういった
精神的ストレスは
ダイレクトに効いてきます。
その状況は絶対に
回避するべきですね。
全てはあなた自身のためです。
まずは自分を
思いやりましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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