僕が15年以上吃音と向き合ってきて感じたこと

僕は小学3年生の頃に吃音を自覚しました。

 

当時はまだ「吃音」なんて言葉は知らなかったです。

 

本当はもっと幼少期の頃から吃音があったのかもしれないけど、ハッキリ記憶に残っているのはやはり小学3年生の頃ですね。

 

あの日から、僕の「吃音人生」が始まったと言っていいでしょう。

 

吃音は本当に辛かったです。

 

不思議と小学生の頃はそこまで吃音が辛いと感じていなかったのだけれど、成長するにあたって段々と吃音の苦しみが表面化してきたように思います。

 

授業でハキハキ答えたくても答えることが出来なかったし、答えが分かっている問題でも手を挙げることが出来なかったので、非常にやるせない感じがしていましたね。

 

教科書の丸読みも、号令も、発表も、全部苦手でした。

 

逃げ出したかったけど、当然逃げることなんて出来ないんですね。

 

褒めて欲しいのですが、僕はトイレに一度も逃げたことはないです 笑。

 

でも、時には逃げてもいいと思います。

 

吃音の辛さは尋常じゃないから、逃げたい時は逃げ出してもいいと思います。

 

逃げるのは恥ではありません。

 

寧ろ、「逃げる」という選択肢を取ることは凄く勇気のいる行動です。

 

だから、『逃げるなんて卑怯だ、弱虫だ』と言ってくる人は無視していいも構いません。

 

逃げることが出来ずに嫌々やって、身体も心も疲弊してしまう人達が現実にどれだけいるのかを、よく考えた方がいいですね。

 

逃げることが出来るだけ、あなたは優秀だと言えます。

 

話を戻すと、

 

逃げることは勇気のいる立派な行動なのです。

 

 

…ん?

 

話が戻ってない…

 

まぁとにかく、そういうことです。

 

中学、高校と進むにつれて僕の吃音は悪化していきました。

 

特に高校時代は酷すぎましたね。

 

野球部に所属していたのですが、「代打」の「だ」が吃音で言えませんでした。

 

そのせいで、代打として出場して、バッターボックスに立って、審判に『代打、○○です』が言えなくて何度恥をかいたことでしょうか。

 

僕は代打要員だったから、いつも『今日は吃らず審判に言えるかな?』とずっと考えながら、代打起用に備えてバットを振っていました。

 

そんな精神状態で、まともに活躍できるわけありませんでした。

 

本当は、そんなこと考えずに、試合に100%集中していればもっと結果を残せたかもしれないが(というかそれが正解論であるが)、当時の僕にはそれが出来ませんでした。

 

今だったら出来る自信があるけど、過去の自分には到底出来なかったと思います。

 

代打がちゃんと言えるかな?

 

たったこれだけのことなのに、そこに大きな恐怖と不安を感じていたので、完全に思考が吃音に支配されていました。

 

吃音の本質は、考えないことにあります。

 

頭を使わないという意味ではなく、そこに思考を振り分けないという意味です。

 

今回のところは、ひとまずこの辺までにしておきますね。

 

次回もよろしくお願いします(・∀・)!

 

 

次話

僕が15年以上吃音と向き合ってきて感じたこと.2

 

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