どうも、リュウです。
吃音って本当に辛いですよね。
人間生きていく上で
絶対に必要なものは人との
コミュニケーションなのですが、
吃音という問題はダイレクトに
それに悪影響を与えます。
まともなコミュニケーションを
取れないと人間関係の構築に
支障をきたしてしまうから、辛い。
僕も経験者だから分かりますし、
あなたの気持ちも当然分かります。
僕は小学生低学年の頃から
発病してからというものの、
発表の場ではいつも
緊張していたし、
みんなの前に立って何かを
話すのは苦痛でしかなかった。
多くの人は、
吃ったらどうしよう…
とか
吃らず話せる言葉は何か?
なんてものは考えないので、
それが常に頭の中をよぎっていた
当時の僕の精神状態は
わりかし限界にきてましたね。
そんな途方も無い不安を
感じていたからこそ、
自分の実力というものは
ほとんど発揮できなかったし、
不安に思っていた結果通りに
自然と身体を動かして
しまっていました。
そんな状態だったから
当然失敗してしまったし、
上手くいった試しも
あまりなかったです。
大きな、
とても大きなコンプレックスを
持って生まれてしまったと、
当時は本当にそう思っていた。
でも、
そんな自分にも少なからず
長所はありました。
それは何かというと、
相手に配慮ができるという点でした。
言葉ひとつとっても、
発言する前に
これは失礼な発言ではないか?
相手を傷付けないか?
と一度審査してから
大丈夫そうであれば発言する、
ということが常習化していました。
それが転じて、
なるべく多くの言葉を
覚えようという癖がつきました。
言葉を知らないばかりに
恥をかくことを
避けるためでもあります。
相手に配慮ができるというのは
僕は長所だと思っているのですが、
これが時には短所に
なってしまうこともあります。
何が短所になってしまうかというと、
無駄に気遣いすぎて
自分自身が息苦しくなる
という点です。
要は、
“必要以上に優しすぎる”
ということですね。
優しいことは
100%プラスなんですけど、
必要以上にってなると
話は変わってきてしまいます。
相手に失礼がないように
言葉を選びすぎて、
逆に一周回って
失礼な物言いになってしまったり、
空気を読みすぎて自分が本当に
思っていることを言えなかったり、
大事な場面で他人に
譲ってしまったり、
自分の意見を通せなかったり、
周りに迎合してしまったり、
とにかく過度な
優しさはダメなんですよ。
難しいですが、
バランスが大切です。
それで、
かつての僕というのは、
そんな必要以上に
優しすぎる人間でした。
そのせいでしょうか。
小学生の頃は
いじめられたことも結構ありました。
殴られたり蹴られたりみたいな、
ジャイアンがのび太に
やっているような暴力的な
いじめはなかったんですけど、
仲間外れや言葉による
暴力などはありました。
まあでも、
覚えていないだけで
殴られたりしたことは
あったもしれません。
あまり覚えていないので、
それはあまりなかったのかも
しれないですが。
素直に言葉で自分の想いや
意見を伝えられていれば、
いじめはなかったのかもしれません。
でも、
吃音があったから
それがなかなか難しかった。
言おうと思っても、
喉にロックがかかったように
なってしまって思うように
言葉が出て来ず、
別の言葉で言い換えたり。
そんなことは日常茶飯事でした。
でも、
そんな苦労した
経験があったからこそ、
今では大分当時の自分を
客観的に見ることが
出来ているのだと思います。
苦労した経験は
絶対に無駄にはなりません。
これを読んでいる
あなたも吃音者ならば、
今まであなたが体験してきた
苦労は絶対に後で活きてくると
僕はお伝えしたいです。
僕は、
これからも吃音と
向き合い続けて生きていきます。
昔みたいに吃音を
言い訳にしたりしません。
これを読んでいるあなたも、
僕と共に頑張っていきましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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