どうも、リュウです。
吃音者の誰もが、
「吃らずスラスラ喋ること」に
憧れを持っていると思います。
テレビで、
タレントさんやコメンテーターの
人達が淀みなくスラスラと
喋っている姿を見て、
自分もこんな風に喋れたら
もっと人生楽しいのになぁ…
なんて思ったことは、
これまで一度や二度だけでは
ないと思います。
セリフをスラスラと喋る
ドラマの登場人物に憧れを
持ったりしますよね。
日常生活においても
同様だと思います。
親や、先生や、友達の姿を見て、
その人達と自分を比べて、
はぁ…
とため息をつく度に
気分が滅入ってしまいますよね。
でも、
ここで考えてみてください。
スラスラ喋れることって、
そんなに価値があることですか?
凄いことですか?
僕も昔は
スラスラ喋れる人が羨ましい
と思ってましたけども、
今となっては
そんなに特別な価値を置くほどか?
と思っています。
そもそも、
スラスラ喋れることが
非吃音者だけの特権だというように
感じているのであれば、
それは勘違いです。
吃音者だって、
スラスラ喋れる時はあるのです。
吃音には波があるからです。
その波の動きによって
スラスラ喋れる時はあるのです。
要するに、
吃音者だからといって
全くスラスラ喋れない
ワケではないということ。
ただ、
先程もいったように、
吃音の波によって
上手く言えたり言えなかったり
することを繰り返すので、
「安定しない」という
フラストレーションは
あると思います。
それは分かりますが、
スラスラ喋れること自体に
あなたが感じているだけの
価値はない
という事実を
まず分かってください。
ここのマインドシフトが
上手くできていないと、
スラスラ喋れなくて辛い
↓
吃音辛い
↓
吃音を持つ自分が許せない
という構図から
いつまで経っても抜け出せません。
非吃音者だって
スラスラ喋れない時はあります。
だってそうですよね、
人間だから。
吃りは非吃音者でも
普通にありますから。
吃音者と非吃音者を
分かつ部分の一つは、
普通に喋ることに
価値を見出しているか、
いないかです。
非吃音者が価値を
感じていないということは、
吃音者の人がスラスラ喋れるように
なったことを自慢しても、
素っ気ない返事が
返されるということになります。
非吃音者にとっては、
普通に話すことも吃ることも同じ
という感覚なんです。
まぁ、
滑舌には皆んな関心があるので、
そこに関しては
突っ込まれるかもしれませんね。
でも、
滑舌ならば訓練すれば
鍛えることが可能ですから、
それ自体は何とでもなりますよね。
それで、
繰り返しの話になりますが、
スラスラ喋れることに
価値を見出し過ぎないでください。
見出し過ぎると、
スラスラ喋れなくて辛い
↓
吃音が辛い
↓
吃音を持ってしまった自分が憎い
という構図になってしまいます。
吃音関連で悩むと、
必ず自虐の方向に
向かってしまいますから、
そのことは念頭に
置いておきましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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