どうも、リュウです。
『吃音を克服したい』
それは多くの吃音者が
願っていることです。
しかしその一方で、
『本当に吃音は治るの?』
『吃音辛い…』
『吃音改善を諦めてしまった…』
など、
吃音改善に対する不信感や
失敗経験があるのは事実
でしょう。
確かに吃音は辛いし
すぐに治るようなものでは
ありません。
『吃音は必ず治せるよ!』
と言われても、
「結果」が出ていない内は
正直なかなか信じることが
出来ないと思います。
吃音改善で言うところの
「結果」とは、
言葉が吃らず
スラスラ話せるようになること
を指すのが一般的だと思います。
連発や難発に悩まされることなく
会話が出来ることが多くの吃音者が
求めている理想の姿であり、
それが「結果」だと
認識していると思います。
僕もそう「思っていた」
のでよく分かります。
だけど、
吃音改善のために吃音と
向き合っていた中で
僕は気付いたのです。
それはどんな気付きかと
言うと、
吃らずスラスラ
話せるようになる
と
吃音改善
は、
似ているようで実は異なるもの
だという気付きでした。
以前の僕は吃音改善の
“理想の姿”ばかりに
目が行き過ぎていたのですが、
冷静に考えてみると、
「吃らずスラスラ話すこと」
に限っては、
非吃音者全員が
出来ていることではないと
気付いたんですね。
非吃音者でも単純に喋りが
上手くなくてスラスラ
話せていない人もいます。
つまり、
スラスラ話せるようになるためには
「喋りのスキル」が必要になるもの
であり、
吃音を改善したからといって
スラスラ話せるようになるわけ
ではないのです。
だからこそ
「吃らずスラスラ話すこと」と
「吃音改善」は別の概念なんですね。
「どもり」自体に関しては
吃音者にも非吃音者にも
ありますから同じ条件です。
ただ違うところは、
吃音者の場合は「どもり」に
“悪い認識”があるのに対し、
非吃音者には
それがないということです。
そもそも何故どもるのかと
言えば、
言葉を言い淀んでしまったり、
次何言うか頭の中で単語が
イマイチ整理できていなかったり
するからです。
ここが吃音とは意味合いが
異なるところなんですね。
では、
「吃音改善」とは一体なんなのか?
それは、
吃音に対する“悪い認識”を
取っ払って吃音に対する
ストレスを0に近付けること
です。
さらに上位的なことを言うと、
吃音を超えた先にある
自分の真の価値に気付くこと
です。
なぜ『吃音が辛い』と思うのか?
それは吃音から来るストレスが
あまりにも大きいからです。
もしもストレスを
全く感じないものであったら、
きっと吃音に関心が
向くことはなかったと思います。
吃音を改善出来た人達は、
吃音を改善してスラスラ
話せるようになったというよりも、
吃音に対する“悪い認識”を
取っ払うことが出来た人達なんです。
そうすることで吃音に
関心がなくなり、
吃音以外のもっと価値あることに
気付いてそこに本格的に
目を向けることが出来た、
ということなんです。
だからこそまずは、
「吃らずスラスラ話すこと」と
「吃音改善」を分けて考えること
が大切です。
一緒くたに捉えると
スラスラ話せない自分自身に
ストレスを感じてしまい、
なかなか吃音改善の
本質にたどり着くことが
出来ません。
吃音改善とは
そう単純な概念ではなく、
人生そのものを劇的に
変化させることができる
超重要な概念
なので、
まずは
「吃らずスラスラ話すこと」と
「吃音改善」を別のものとして
捉えるようにしましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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