あなたは“卒業”できているか?

うも、リュウです。

 

 

僕は幼少期に

自分に吃音があることを

自覚して、

 

長い間吃音で苦しんできました。

 

 

ふと今でも、

 

もし自分に吃音がなかったら、

どんな人生を送っていただろうか?

 

と考えるときはあります。

 

 

今となっては吃音を

受け入れていますけど、

 

やっぱりふとそんなことが

頭を過ぎることってあるんです。

 

 

あなたもそう思うことって

ありませんか?

 

 

僕もそうだからあなたもそう、

 

なんて決めつけをするつもりは

ありませんが、

 

あると思います。

 

 

吃音によってこれまで

散々ストップをかけられてきたと

感じるのは仕方がないことだし、

 

つい後悔してしまうときだってある。

 

 

僕は別にそれ自体を

否定する気はありません。

 

 

だから

そんな風に考えるのは間違いだ!

と言うつもりはありませんが、

 

お伝えしたいことはあります。

 

 

それは、

 

その考え方からはいずれ

”卒業”しなければならない

 

ということです。

 

 

卒業しない限り、

 

吃音は克服できません。

 

 

その考え方が根底にある限り、

 

一生吃音に飼われ続けると

いっても過言ではありません。

 

 

だから、

 

いつかは卒業しましょう

と言っています。

 

 

僕は卒業しています。

 

 

冒頭で、

 

ふと思うときはある

と言ったのは、

 

本当にその言葉通りです。

 

 

学校を卒業した後でも、

 

楽しかった出来事や

嫌な出来事などを思い出して、

 

余韻に浸ったりする事は

あると思います。

 

 

それと同じような感覚ですね。

 

 

あぁ、そんな事もあったよね

という感覚でしょうか。

 

 

吃音によって色々ストップを

かけられてきたと思っても、

 

ストップをかけたのは他でもない、

 

「あなた自身」なんですよね。

 

 

キツイ言い方をすると、

 

吃音を

言い訳に使っていませんか?

 

 

吃音を言い訳に使うとはつまり、

 

自分には吃音があって

上手く喋れないから

思い切った行動はできない

 

自分は吃音で上手く喋れないから

周りの方が配慮してほしい

 

ということですね。

 

 

理解を求めるのはいいですが、

 

それを頼りにしては

いけないというのが僕の考えです。

 

 

なぜなら、

 

吃音というのはあなた自身の課題

だからです。

 

 

あくまで、

 

あなた自身が吃音を

乗り越えようという姿勢で

いないといけないんですよ。

 

 

その姿勢があって初めて、

 

人に理解や配慮を

求める行為が正当化されるのです。

 

 

ここで、

 

もし自分に吃音がなければなぁ

という考え方から

卒業できていないと、

 

自分には吃音が

あるから仕方がない

と言い訳してしまいます。

 

 

せっかく周りの人達が

吃音を理解して配慮して

くれていても、

 

その好意に背中を

預けているだけでは、

 

相手はいずれ愛想を

尽かしてしまうでしょう。

 

 

相手にも失礼ですし、

 

何より

あなた自身が成長しないです。

 

 

それでは吃音は克服できません。

 

 

吃音によってブレーキを

かけられてきたのではなく、

 

自分がブレーキを

かけていたという事実を受け入れて、

 

もし吃音がなかったら

の考え方から卒業すること。

 

 

それが

“踏まえて乗り越える”

ということです。

 

 

自分はその考え方から

卒業できているか?

と自分に問うてみましょう。

 

過去をふと思い出す程度の

感覚なら大丈夫ですが、

 

自分を追い詰めるほどに

囚われているのであれば、

 

変えていく必要があります。

 

 

“踏まえて乗り越える”

ことが、

 

吃音克服のヒントになります。

 

 

この記事を読んだら

是非感想コメントください。

 

 

それでは、

今回もありがとうございました。

 

 

バイバイ👋(・∀・)

 

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