どうも、リュウです。
吃音を理解して
受け止めてくれる
良き理解者ってなかなかいない。
なぜなら、
吃音者は少数派で
そもそもの母数が少ないからだ。
これ故、
同じ悩みを持つ人同士が
繋がれることも少ない。
まぁこの辺は、
インターネットの普及によって
旧世代より大分マシになったと
思うけど。
吃音者が
どれだけ少数派かと言うと、
吃音を持つ人の割合は
約100人に1人と
言われているほどだ。
つまり
全体人口の約1%
ということ。
適切な統計ではない
(と思う)から、
実際のパーセンテージは
この通りではないと思う。
取り敢えずざっと
日本で約120万人
いる計算になるから、
この数字だけ見ると意外と
多く見えるかもしれない。
しかし、
多く見えても、
実生活の中で
実際どれほどの
吃音者がいるのか?
これを視野的に
認知するのは難しい。
たまたま同じクラスで
自分と同じ吃音で
悩んでいる人がいたら、
友達になれるかも
しれないけど、
その確率というのは
決して高くない。
当然なんだけど、
吃音者にも様々な
性格の人がいるので、
たとえ自分と
同じ吃音だったとしても
仲が良くなるとは限らない。
これは僕の体験の話だが、
僕の中学校時代の
クラスメイトに吃音の子が
いたのだけれど、
吃音について語り合うほどの
仲にはならなかった試しがある。
どうしてかと言うと、
その子はメチャクチャ
どもり散らかす子だったんだけど、
それでも自身の
吃音のことをほとんど
気にしていなかったからだ。
つまり、
吃音の症状こそ
あるけれどその子は
吃音者ではないということ。
だからこそ僕と彼とは
吃音でわかり合うことは
なかったのだ。
当時から既に
僕は隠れ吃音者だったので、
自身の吃音を
隠していたことも
理由としてはある。
この辺の話は
また別の場所で書くとする。
さてさて、
つまり
何が言いたいかと言うと、
同じ吃音者同士で
あっても分かり合えるとは
限らないということと、
吃音者は自身の吃音を
隠したがる傾向にあるのと
(隠れ吃音者)、
そもそもの母数が
少ないという背景によって、
吃音者にとっての
良き理解者にはなかなか
出逢うことが難しいよね、
という話だ。
そんな現実にも
吃音者は苦しんでいると思う。
孤独を感じることだって
これまで一度や二度だけでは
なかったと思う。
それは当然僕も同じだ。
親や先生に相談しても
全くと言っていいほど
理解されなかった。
それはそうだ、
なぜなら彼らは吃音を
持っていなかったからだ。
吃音の苦しみは同じ吃音を
持っている人でないと
深いところまでは理解できない。
同じ吃音で悩んでいた人で
あなたの救済に
手を差し伸べてくれる人…
吃音者にとっての
「良き理解者」
とはそういう定義だ。
遠回しでその存在が
僕であると書いている
つもりではない。
大事なのは、
あなたにとっての
良き理解者を
見つけることである。
では、
どうすれば良き理解者を
見つけることが出来るだろうか?
僕みたいに、
勇気を出して親や先生に
カミングアウトしたのに
撃沈した人は多いと思う。
だけど、
たとえ深いところでは
理解できなかったとしても、
話を聞いてくれる人は
必ず何処かにはいると
思っている。
それに今はネットが
普及している時代。
昔に比べると格段に
良き理解者に出逢える確率
というのは上がっている。
これは吃音者にとっては
追い風だと思う。
だからもうこの
追い風の勢いに乗るしかない。
良き理解者の存在は、
リアル世界で
直接会うことができて
距離感が近いほどいい。
しかしなかなかリアルで
出逢えることは環境に
よっては難しいと思うから、
ネットでも探そう。
ネットを通じて
そういうコミュニティに
入るのもいいと思うし、
同じ体験を持つ人の情報を
受け取るのもいいと思う。
とにかく、
周りが理解してくれないのなら
そんな周りに期待するのはやめて、
自分から良き理解者を
見つけていこうとする姿勢も
大事だと僕は思う。
僕はそんな良き理解者を、
とある出逢いによって
見つけることができた。
それは本当に
ラッキーだったと思う。
でも、
全部が全部ラッキーでは
ないとも思っている。
なぜかと言うと、
良き理解者に出逢えるよう
僕自身が行動を起こした
先の結果だからだ。
その人に僕は実際に
直接会いにいったこともある。
その人に実際会ったお陰で
さらに色々と視野が広がった
と感じている。
出逢いは大事。
こうして僕のブログに
辿り着いて、
記事を読んで
いただけているのも
立派な出逢いだと思う。
これからも当ブログを
宜しくお願いします(^o^)/
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
シーユー👋(・∀・)
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