どうも、リュウです。
吃音克服について最も
重要なキーワードがあります。
それは何かというと、
吃音を忘れること
です。
吃音を忘れることは
吃音克服の最終形態であり、
ターニングポイント(分岐点)
とも言えます。
僕はね、
吃音克服のあるべき姿は
これしかない
と本気で思っています。
吃音を忘れるとは
どういう感覚なのか?
というと、
吃音に関心がなくなる
という感覚です。
吃音に対して
無関心になることが、
吃音を忘れるという
状態であると僕は定義しています。
この状態にまで
己を支配できると、
吃音をほとんど
意識しなくなります。
ここまでたどり着くのは
至難の業ですが、
感覚の問題なので
無理もありません。
今これを書いている
時点の僕は、
まだ完璧にその感覚を
習得できていません。
しかし、
“兆し”は掴んでいます。
その感覚という存在(世界)が
あることは既に分かっています。
だけど、
多くの方は
気付いていないことでしょう。
でもね、
多くの吃音者は
もう既に、
“出来ている時があった”
という経験を持っていると
思うんですよ。
よーく思い出してみてください。
あなたはきっと、
四六時中、
吃音のことで
悩んでいないはずなんです。
吃音には“波”がありますから、
その波が荒くない時が
必ずあるのです。
24時間吃音のことに
集中して意識している
なんてのは不可能です。
意識していると思うのは
そう思い込んでいるだけです。
これはそう言い切ります。
もしあなたが24時間ずっと
吃音のことを意識していると
言い張るのであれば、
ここから先は
読まないほうがいいです。
吃音のことを意識している
時間のが長いとは思いますが、
意識していない
(吃音に無関心な)
時間もあるんですね。
そのタイミングは
何処なのかというと、
人それぞれ異なると
思いますが、
“楽しい時間を過ごしているとき”
という共通点はあるはずだと
思ってます。
あと身も蓋もないことを言えば
寝ているときですね(笑。
要は、
そういうタイミングって
絶対にあるという話です。
吃音をほぼ克服した人、
或いは吃音があっても
元々それをあまり気にしない人
というのは、
吃音を意識していない
時間の割合が多い
ということなんですね。
吃音者である以上
吃音を意識することは
あるでしょうけど、
症状が重くならない人は
そこに共通点があると
僕は考えています。
僕は以前よりも、
吃音を意識しない
(関心を持たない)
時間が増えました。
その時間を24時間まで
拡張出来れば完璧でしょう。
ただそれには何よりも
時間がかかりますし
経験も必要になってきます。
ただ、
吃音を忘れている時間は
必ず自分の中に存在している
ことをまず知っておいてください。
そして目指す先は一つ、
吃音を忘れている時間を
24時間にまで拡張することです。
何度も言いますが、
吃音には無関心に
なることが大切です。
恨むわけでもなく、
否定するわけでもなく、
絶賛するわけでもなく、
ただただ、
関心を持たないように
することです。
記憶としては
残っているけれど、
今ではもう吃音のことは
どうでも良いと認識している
心の状態ですね。
その状態を目指して
日々邁進していきましょう。
そこが吃音克服のゴールであり
ターニングポイントでもあります。
僕も日々その向かって歩いています。
共に頑張りましょう。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
ありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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