「克服」の定義

うも、リュウです。

 

 

僕は吃音歴10年以上の

ベテラン(?)さんです。

 

 

故に吃音の感覚というのは

完全に理解していますし、

 

吃音が出た時の吃音者の

気持ちも理解できます。

 

 

僕もかつては吃音を

恨んでいました。

 

 

吃音さえなかったらもっと

色々なことが出来たのにと

本気でそう思っていましたし、

 

何かにつけて吃音のせいに

していました。

 

 

でも、

 

それではダメなんだ

ということが今では

分かっています。

 

 

吃音のせいにしたところで

現実は何も変わらないし、

 

そうしたところで益々吃音を

意識することになってしまうので

余計に症状が悪化します。

 

 

吃音改善は、

 

吃音込みの自分」として如何に

己を受け入れることが出来るかに

かかっています。

 

 

それが出来ていない以上、

 

どれだけ病院に行こうが

トレーニングを行おうが

大した効果は見込めないでしょう。

 

 

吃音は表面上の

問題ではありません。

 

 

もっともっと

深いところにあります。

 

 

吃音はもはやあなたの身体の

一部と化していると言っても

過言ではないでしょう。

 

 

だからこそ、

 

吃音を否定するということは

己自身を否定することと

イコールになるのです。

 

 

しかし、

 

多くの方は

 

吃音は自分の身体の一部である

 

ことを受け入れられていない

と思います。

 

 

逆に受け入れられている人は

とても明るく、

 

吃音が出てもポジティブな思考を

キープすることが出来ています。

 

 

そんな「受けられている人」と

「受け入れられていない人」の

違いは一体なんでしょうか?

 

 

それを僕なりに定義すると、

 

前向きに諦めているか

いないか

 

の違いだと思っています。

 

 

ポイントは「前向きに」の

部分です。

 

 

諦める」のところだけ見ると

マイナスな印象を受けますが、

 

前向きに諦める」は決して

マイナスなことではありません。

 

 

なぜ「諦める」という言葉を

使ったのか言うと、

 

先程言ったように吃音は

身体の一部と化しているもの

なので、

 

どう頑張っても吃音を排除

することは出来ないのですよね。

 

 

吃音は治るものですが

完全に消去することは

出来ません。

 

 

吃音に限らずなんですが、

 

克服したものであっても

身体の中には残り続けます。

 

 

ダイエットを例にしてみましょう。

 

 

酷く肥えてしまった人が

ダイエットに挑戦して

見事に痩せたけど、

 

お腹周りは以前の面影がある

(お腹が出ていた跡が残っている)、

 

というように、

 

ダイエットに成功して肥満体を

克服しても以前の面影は残る

といった感じです。

 

 

やはり一度身体にあったものを

完全に跡形もなく消すというのは

現実的ではないのですね。

 

 

吃音も同じで、

 

吃音を克服できたとしても

その先一生全く吃音が出ないか

と言えば、

 

それはなかなか難しいです。

 

 

だけどそれは吃音を完全に

克服出来ていないからではなく、

 

克服」というのは

そういうものなんです。

 

 

克服」とは身体から

一切の痕跡を無くすこと

ではなく、

 

踏まえて乗り越える

ことです。

 

 

だからこそ、

 

前向きに諦める姿勢

大事なんです。

 

 

ここの話は抽象度が高くて

掴み所のない話かもしれません。

 

 

しかし吃音改善においての

大事な道筋になるので、

 

まずはざっくり

そういうもんなんだ』と

受け止めてください。

 

 

何事も「受け入れる」ことが

スタートラインになりますから。

 

 

この記事を読んだら

是非感想コメントください。

 

 

それでは、

今回もありがとうございました。

 

 

バイバイ👋(・∀・)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です