認知のズレ=周囲との常識のズレ

うも、リュウです。

 

 

吃音者の感覚は非吃音者と

比べるといくつかズレている

ところがあります。

 

 

その内の一つが、

 

言葉をスラスラ話せることは

凄いことだと強く認識している

ことが挙げられます。

 

 

なぜそういう価値観を

持っているかと言うと、

 

説明不要だとは思いますが、

 

日頃吃音によって言葉が

なかなか流暢に話すことが

出来ないからに他なりません。

 

 

ここに対する強い

フラストレーションを

抱えているがために、

 

スラスラ言葉を話している

(ように見える)人の姿が

凄く輝いてみえるのです。

 

 

“影”の部分が強いと

その分“光”の部分に

目が行きがちになります。

 

 

しかし、

 

吃音者から見れば

どもらず言葉をスラスラ話せること

“光”に見えるかもしれませんが、

 

実は光でも何でもないのです。

 

 

非吃音者にとっては

それは当たり前というか、

 

特別に意識している

ものではなく、

 

どもることも

 スラスラ話すことも同じ

 

なんですね。

 

 

非吃音者だって普通に

どもる時はあるのでどもり自体は

別におかしいことではありません。

 

 

そう、

 

どもり」に関しては

吃音者も非吃音者も共通なのです。

 

 

ただ吃音者は

どもりが上手いだけ」…

 

言うなればそういうことなんです。

 

 

吃音者というのは言わば、

 

どもりのスペシャリスト

 

とも呼べるわけですね。

 

 

このように、

 

本来何でもない(特別な価値がない)

ものに対して光を当ててしまう

原因としては、

 

認知のズレ

というものが挙げられます。

 

 

これは何かと言うと、

 

簡単に言うと

周囲との常識のズレです。

 

 

どもること」に対しては

非吃音者にもあってそれは

普通に受け入れられているのに、

 

吃音者は「どもること」を

恥ずかしいこと(=悪)

だと認知している…

 

これが周囲との常識のズレ

なんですね。

 

 

実際に会話の時にどもりが

出るかどうかなんて本来は

どうでも良いことであり、

 

会話において大切なことは

 

自分の意思を

 しっかり相手に伝えること

 

のはずなのに、

 

吃音者の方は

 

どもりが

 出ないように話さなければ

 

と、

 

そっちに意識が向いているのが

周囲とのズレなんですね。

 

 

要は会話時に

吃音を意識している

ということです。

 

 

吃音を意識しながら会話をする

というのが吃音者の常識なわけです。

 

 

吃音というものは

意識すればするほど強化されます。

 

 

吃音とは残念ながら

そういう性質を持っています。

 

 

ここで注意してほしいのは、

 

吃音を意識すると吃音が

余計に出てしまうからといって、

 

吃音を意識しない」ように

強引に吃音から目を背けようと

しないことです。

 

 

なぜなら、

 

目を背けるという行為は

臭いものに蓋をする

という行為に当たるので、

 

本質的な解決には

ならないからです。

 

 

大切なのは、

 

吃音を大人しく受け入れる

ことです。

 

 

ただ受け入れて終わりではなく、

 

受け入れた上で

認知のズレ」を

改善させていく体制が大事です。

 

 

どもってもいいや』と

開き直ることも必要ですが、

 

それだけでは

吃音は改善しません。

 

 

あくまで吃音を受け入れること

改善のための最低条件

過ぎないのです。

 

 

まずはこのことを

覚えておきましょう。

 

 

この記事を読んだら

是非感想コメントください。

 

 

それでは、

今回もありがとうございました。

 

 

バイバイ👋(・∀・)

 

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