どうも、リュウです。
吃音を持っていると
どうしても吃音に
目が行きがちになり、
最悪の場合吃音を
持っている自分自身を
嫌ってしまいます。
確かに吃音は重たい問題
なのかもしれないですが、
それでも吃音がある
自分を絶対に責めては
いけません。
はっきり言いますが、
その状態は
「最悪の状態」なんです。
「自分を嫌う」とは
どんな状態なのかと言うと、
自分の可能性を
否定してしまうことです。
あなたは自分自身の
可能性をどう見ていますか?
自分の得意なことは
何か分かっていますか?
自分には向いていないことは
何か分かっていますか?
色々問いかけましたが、
今それらを全て把握している
必要はありません。
まだまだ自分のことを
知らない部分は多々あるかと
思います。
だけど、
今はまだ知らなくても
「信じること」は今すぐにでも
出来ることです。
僕にも吃音はありますが、
それでも自分の可能性
というものは信じ続けています。
これまで何回も、
馬鹿にされたり自分が
嫌いになってしまったり
したことはありましたが、
自分のことを心底嫌いに
なったことはありません。
不甲斐ないと
思ったことはありましたけど、
何だかんだ
自分のことは好きでした。
吃音さえなかったら
もっと上手く立ち回れるのに…
とは常々感じていましたけどね。
でも仕方がないこと。
何だかよく分からないけど
気が付いたら吃音者に
なっていたのですから。
吃音者になったのは
あなたのせいではないし、
かと言って他の誰かのせい
でもありません。
ちょっとスピリチュアル的な
話になるかもしれませんが、
吃音者になってしまったのは
「運命」なのではないか…
と僕はそう思っています。
細かく言うと色々な
要因があるのですが、
結局約100人に1人の
割合で吃音者になるので、
運命みたいなもの
じゃないですか。
少なくともそう考える方が、
自分のことを嫌いになったり
環境のせいにしたりするより
よっぽど建設的だと思います。
吃音者になってしまったのは
運命だから仕方がないことなんだ、
と開き直ることが
案外効果的だったりします。
吃音は開き直ることが大切です。
とにかく大切です。
開き直って吃音から
意識を外すことによって、
次第に吃音というのは
遠ざかっていくのです。
「遠ざかる」とは
「関心がなくなる」「忘れる」
というニュアンスが近いですね。
その極地まで
たどり着けば勝ちです。
吃音改善とは、
如何にして吃音以外に
目を向けられるかが
改善成功の鍵となっています。
吃音なんてどうでもいいんです。
吃音なんて別に
大した問題ではないのです。
自分の可能性を信じて
向き合うことが出来れば、
自分が本当に目指したい
「何か」が見えてきます。
そこに辿り着くためには
どうすればいいのか?
それを考えていくうちに
そっちに意識の大半が
向くようになり、
吃音のことをいつの間にか
忘れていきます。
その結果吃音を乗り換えることが
出来るんですね。
吃音改善はゴールではなく
真の目的達成までの
「道中」に過ぎないです。
最後にもう一度言います。
吃音なんてどうでもいい。
以上。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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