どうも、リュウです。
吃音者の方にこれだけは
絶対にお伝えしたいのですが、
それは何かというと、、、
吃音を持つ自分を
絶対に否定しないこと
です。
ガチでこれだけは
やってはダメです。
吃音は自分が欲しくて
手に入れたものではないと
思いますが、
だからと言って、
無理に手放そうとか
無理に引き剥がそうとか
してはいけません。
吃音には自己防衛機能が
備わっているので、
自らを排除しようとするものに
対しては防衛プログラムが
発動して反撃体制をとってきます。
吃音を持つ自分を
自己否定する行為も同様です。
吃音はあなたという
マスターコンピューターを
守るために働いているものなので、
あなたにとても
忠義心が強いんですね。
でも、
そんなあなた
(マスターコンピューター)から、
いきなり
「不必要なプログラム」と
判断されてしまうと、
吃音はショートしてしまうのです。
ショートした結果として
プログラムがバグってしまい、
防衛機能が暴走して
吃音の症状が酷くなってしまう、、、
本当にそんなイメージです。
吃音という掴み所の
ないものだからこそ、
上のような感じで
イメージするとなんとなく
正体が掴めてくるんですね。
吃音とは、
あなたを危険から
回避させるための
自己防衛機能なんです。
僕はこれを
「危機回避センサー」と
呼んでいます。
この理屈により、
吃音は我々の味方
と言えるのです。
吃音を持つ自分を絶対に
否定してはいけない、
と主張する僕の意図が
少しは分かりましたでしょうか。
それでは、
吃音をどういう視点で
捉えれば良いのか?
それは、
吃音は味方であるという
視点を持って
吃音を受け入れることです。
「受け入れる」とは、
吃音から真正面に
闘いを挑むのではなく
サラリと受け流すイメージです。
絶対に闘いを挑んではいけません。
吃音はあなたの一部なので
受け入れることが自然であり、
そもそもが敵ではないので
闘いを挑むのは可笑しな話
なんですよ。
ここで言う「闘いを挑む」とは、
吃音を否定する行為を
指しています。
上でも書いたとおり、
吃音とは我々の身体の一部であり
危機回避センサーなので
完全に味方側なんです。
それを否定するなんてのは
チャンチャラ可笑しい話、
という理屈なわけです。
どうしても吃音が分かりやすく
表に出てしまうので
叩かれやすいですが、
吃音からしてみたら
完全に冤罪なんですよね。
正体が分からないものに
対して恐怖や不安を覚え、
分かりやすく表面化しているものに
対してそのやり場の無い感情を
ぶつけてしまう、、、
我々人間の悪い癖です。
吃音は主を危険に晒さないよう
毎日働いているのにも関わらず、
主は表面上だけを見て吃音を
不要なものだと判断する、、、
これでは吃音が可哀想です。
だからこそ、
“愛”
を持って吃音を
受け入れなければいけないのです。
冗談でも何でもなく、
“愛”を持って
吃音と接してください。
表面上だけの吃音を
見るのではなく、
本当の吃音を
もっと知ってください。
知るよう努めてください。
自分と“対話”することが
大切ですからね。
この記事を読んだら
是非感想コメントください。
それでは、
今回もありがとうございました。
バイバイ👋(・∀・)
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